中国の故事に由来しますが、尭帝(ぎょうてい)という聖天子が朝廷の門前に諫鼓(太鼓)を置いて、自らの政道に誤りがある時は人

打掛の諫鼓鳥文様

民にそれを打たせて、その訴えを聞こうとしたそうです。しかし尭帝の政治に誤りが無く、人民が打つことが無かった為、諫鼓は鳥の遊び場になってしまいました。

 

つまり、諌鼓に鶏が止まっているのは、善政により世の中がうまく治まっている天下泰平の世であることを現しています。「諫鼓苔蒸す」は、善政によって諫鼓をならす必要がなく、その鼓に苔が生える意(大辞林より)です。
元和元年(1615)5月、大坂夏の陣に勝利して江戸へ凱旋した二代将軍徳川秀忠は、日枝神社の大祭である6月の山王祭を前に「太平の世を祝って諫鼓鶏の山車を末代に至るまで一番で渡せ」と上意を下し、それまでの「御幣猿」に代わって「諫鼓鶏」を先駆けとしたといわれる。(『事績合考』)

山王神社、諫鼓山車

「諫鼓」とは昔の中国で君主に対して諫言しようとする民衆に打たせるために設けられた太鼓のことで、「鶏」は鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒する想像上の鶏である。「諫鼓鶏」とは、善政であるため諫鼓を鳴らす必要がなく、上に止まっている鳥も逃げないという意味である。   (東京都神社庁)

 

日本国内には着物の文様や祭礼の山車、東照宮の塀などに「諫鼓鳥」が残っている。本場中国のものを探すと武漢に大禹神話園という公園に諫鼓鳥のモニュメントがあった。

なんとこの太鼓には羽が生えていた。「これでは民が敲く前に飛んで行ってしまう。」と余計な心配をしてしまった。

民の不満の無い善政など神話の世界以外にどの国にもないのではと思った。

 

尚、閑古鳥とは

憂き我を寂しがらせよ閑古鳥(芭蕉)
ふるさとの寺の畔の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥(啄木)
--これらの閑古鳥はカッコウを指すといわれています。

由来は、カッコウの鳴き声がもの寂しい印象だったこと、また人里離れた静かな山間にその鳴き声が寂しげに響くさまから、言われるようになった。

コロナ禍で閑古鳥の鳴いていたお店が復活し繁盛するように期待しています。

令和4年10月   青梅きもの博物館 館長  鈴木啓三